「頑張っているけどうまくいかない」
今何かに頑張っていて、
そう思うことはありますか?
今日は「頑張る」ことの
意味を考えるお話をしようと思います。
私は過去に躁うつ病を患い、
周囲の評価ばかり気にしていました。
その結果「好きなこと」を「好き」とも言えず自分を見失いました。
「頑張れない自分」を憂いて
自殺を考えたこともあります。
その結果、沢山の損と
苦労をした経験があります。
頑張れば、報われる
頑張れば、何か変わる
頑張れば、認められる
「まだまだ頑張れてないから、
上手くいってないんだ」
がむしゃらに何でも“頑張って”
抱え込むだけが正解ではありません。
そんな頑張り屋さんの誰かのために、
時に「頑張らなくてもいい」話をします。
こんな人にオススメ
・頑張っているのに上手くいかない人
・頑張りすぎてしんどい人
・疲れてしまった人
・生きている人
結論から言うと、
頑張ることをやめたら、
案外頑張っていた時よりも…
✔良い仲間に恵まれるかも。
✔良い環境に身を置けるかも。
✔助けてくれる人が増えるかも。
頑張りたいときと、
頑張らないと!と思っているとき、
(特に後者です)
自分の心に毒な頑張りは、
いっそやめてしまうのも1つの手です。
頑張っているのに何か違う。
頑張りすぎていて辛い。
頑張れない自分が辛い。
全部頑張らなきゃ。
認められなきゃ。
そんな頑張り屋さんの誰かのためになれば、
そう思いながら書いていきます。
頑張りたくないのに
頑張ってませんか?
そんなに頑張らないでいいよ。
※頑張ること自体は悪くありません!
※これを読んでくれている誰かが、頑張り方を間違って辛い思いをして欲しくない、そんな思いで珍しく真面目に書いています!
頑張っていた自分の話。
なんでこんな記事を書いているのか?
そんな風に思う方が多いと思うので…
恒例の自己開示から始めます。
他人の評価のために頑張った話
・不安症
・完璧主義者
・気にしいな性格(HSPさん)
・他人にどう思われるか心配
どれかにドキッとしたら、
私の仲間です(笑)
私は学生時代からとにかく気にしいで
周りの目が気になる心配性な性格でした。
そして不安症な癖に完璧主義。
学生生活(勉強面)で特に顕著で…
試験の結果が出るまでは本気で赤点だと思い込んで一人で落ち込む。(むしろ赤点は1度もナシ=全部過度な自信の無さ)
そのくせ結果が出れば、周囲の人より1点でも低いと大ショック(一体何の?)。
どんだけ気にするの。
振り返ればおかしいですが…
それでも当時は
頑張れていない
自分は無価値だ。
そう本気で思っていました。
でも当時の悩みって要は
「周りの人にどう思われるか恐ろしい」これに繋がります。
以下は「リハビリ学生時代」に
いつも脳内を駆け巡っていた不安です。
「いつも○○が1番だから今回も」
もしそうじゃなかったら…?
恐ろしい…期待に応えられない…
(1番である意味はどこにもない)
(8割以上を取るのは効率も悪い)
「○○なら頭いいし大丈夫」
そんなことないのに…
失敗したらどんな顔したら…
(プレッシャーが100倍くらい膨れる)
「絶対大丈夫だから!」
絶対なんてないのに…
私だけ出来なかったら…?
(とにかく最悪の想定ばかり)
「○○は優秀だから」
結果が怖くて死ぬほどやってるだけなのに…。また頑張らないと「他者評価」と「本当の自分が出した結果」がズレてしまう…それが怖い。
(自己評価と他者評価の圧倒的解離)
理想高いかよ。
進〇ゼミの漫画の主人公か。
これ、今見返すと「自分のためではない頑張り」だと気づきます。私もちろん『100点取らないと気が済まないマン』ではありません。
周りのすでにある評価から
逸脱することがただ怖かった。
改めて自己分析すると…
一度周囲に形成されたイメージ(=勉強が得意な自分)が周りの評価として定着。
その評価自体(○○は勉強ができる)が、以降の自分を常に追い詰めていた。「できると思われている」から、「できないといけない」という強迫観念
自分の過去の結果が、
実体のない魔物のようにず~っと付き纏うんです。
当時の自分にしか分からない……
セルフ地獄の
完成である。
無理に頑張ろうとした結果
まわりの評価を下げたくない。
ガッカリされたくない。
そんな理由で
がむしゃらにやっていると…
頑張っている○○がすごい。
結果を出すのが○○だ。
どんどんこんな雰囲気が
強化されていくだけでした…
どんどん自分を殺す環境を
自分で強化し続けたんです
でも途中で疲れちゃいました。
1回たまたま出せた結果に
囚われて病むなんてバカバカしい。
ということで、
頑張るのを
やめてみました
自分が追い込まれるのが嫌なので、
学校に行く機会を最低限にしました。
そして、「本当に国家試験に受かる気がしないレベルの万年赤点の友人」たちに、「勉強を教えるため」だけに通うようにしました。
それが一番丁度イイ距離感でした。
自分の結果なんて気にせず「友人のため」に頑張ることは、不思議と苦ではありませんでした。
友人も無事に試験合格、私も教えている期間は、なんだか楽でした。
こうして「変に頑張る」ことをやめた結果…
「そのままの○○が好き」
という人が集まってくれました。
➡これがそのまま自分の過酷な環境を溶かしてくれます
自然体でいられて、周りにも認められる。
これが本当にスッキリしました。
「別にこれには頑張らなくてもいいんだ」、と思えると心が軽くなったのを覚えています。
変な頑張りに精神をすり減らした結果、変な方向に頑張った私の生き様(恥)の結晶はコチラ。
番外編:頑張って「普通」になりたい
同じ要領で、もうひとつ。
※30秒でわかる!
「自分はレズビアンだ」と
認めたくなかった自分の話。
・まわりの「普通」に合わせないと
・友達にも恥ずかしくて言えない
・家族に申し訳ない
「男性と結婚すべきだ」
➡無理に男性と付き合って病む
本当に好きな女性を泣きながら振る
こんな地獄も味わいました。
まわりのために
自分を押し殺す
達人でした。
詳細は別記事で…
本題へ戻ります。
頑張ることは価値なのか考察。
ところで、頑張る=正義ですか?
何のため(誰が為に)に頑張るのか?
それを履き違えなければ、
きっと悪いことばかりではないはず。
なんでこの世の中って
頑張ってない奴=悪みたいな風潮なのか?
私はひねくれてるので、
そこから考えてみましょう…。
「頑張り」が正義の時代
「頑張り」「我慢」「苦労」=良
「楽して稼ぐ」=悪
昔はそんな時代でした。
頑張った分稼げて、成長する時代背景です。
でも時代は変化しています。
他者の敷いたレールを意識して
ただ「頑張る」だけでは報われない時代。
自分の「好き」が重要になる
【個と繋がり】の時代。
職場で言えば、終身雇用も崩壊し、安定なんてなくなっていきます。ただ言われた通り頑張れば報われる時代は終わります。
そのあたりのお話はコチラで。
何より…
自分は嫌なのに誰かがそれを望む
(もしくは強要する)から頑張る。
自由で多様化した現在、これほどストレスフルなことはありません。
(と私は思う)
その頑張りは誰のため?
でもそうはいっても、
世代間のギャップはありますよね。
私の職場(病院)でも聞こえてきます。
ええ、たくさん聞こえてきます。
「まだ新人なのに」
「あの子はやる気がない」
「もっと頑張ればいいのに」
「ちょっと体調悪いくらいで休んで」
「若いんだから疲れたなんて言うな」
「あの子は一生懸命残って頑張ってる」
もちろん頑張りたいところ、
そのポイントや強みなんて人それぞれ。
苦手なことは得意な人に任せて、
自分の得意なことを頑張れたらそれでいいのに。
頑張りの押し付けは心に毒。
若いうちは特に、これを真に受けて「頑張れてないんだ、もっと周りみたいに頑張らないと」と、知らず知らずのうちに「誰かの評価」のために自分を歪めてしまいます。
パワハラも、
そんなつもりのない押し付けも
正直言って
たくさんあると思います
「なんか苦しい。」
そんな時はこの記事を
思い出してください。
時代の変化を感じて、
自分のものさしで考えていいんです。
今のその頑張りは誰のためですか?
本当に自分のためになりますか?
適度にサボるのは悪いことじゃありません。
サッカー選手とか、常に試合中全力だったら「ここぞ!」って時に多分点入れられませんよきっと…。
ある程度、適度な気の抜き方も
心得ていいんです(悪魔の囁き)
無理して頑張るな!!
これだ!と思える時には
自然と頑張りたくてやってるから!
仕事を頑張りたくない誰かへ
ここまでは主に学生時代のお話でした。
でも頑張りすぎて辛いのは、
やはり社会人もですよね……。
仕事が嫌な理由って何でしょうか。
社会人の皆さん、
しばしお付き合いください。
仕事が嫌な理由って何だろう
「仕事が辛い」
その辛さの原因は何なのでしょう。
思いつく原因を挙げてみます。
【私のケース】
・上司のパワハラがすごい
・同期が何人も病んでしまった
・やりたい勉強を堂々とできなかった
・仕事に関係ない強制イベントが多すぎ
(毎年の忘年会余興担当・その他多数)
正直、「職場が嫌」が
心に染み付くと取れません。
もはや
ネガティブの沼。
私は人一倍ネガティブ人間なので、
思考の流れはこうなります。
・上司のパワハラがすごい
→同期も次々病んでいく
→組織からはみ出たら目の敵なんだ
→従ってるみんなに白い目で見られてる
→職場に行きたくない
地獄のループです。
不安要素や嫌なことが1つあるだけで、他の「良いところ」や「優しい人」もいることに気付けなくなるんですよね。
職場全体が敵に見えた
そんな時期もあります。
(辞めた今はお世話になった感謝も沢山ですが…イヤイヤフィルターにかかると、嫌な部分が特に悪目立ちしてしまうため、職場=辛いになりがち。)
これは覚えて帰ってください。
ネガティブは人の本質です。
明るいニュースより暗いニュースやスキャンダル。炎上するようなネガティブな内容のほうが何だか引き寄せられますよね。
正直どっちを先に見ますか?
「私の人生の成功法を伝授!」
こんなタイトルと
「緊急謝罪会見、過去の過ちを激白します」
こんなタイトル。
それぞれかとは思いますが、
私は気になって後者を見ます。
何が言いたいかというと…
「職場が嫌だ」
「上司が嫌だ」
→自分のネガティブが強まっていて見えていない部分もあるかもしれない、ということ。
原因が分かれば対処できます。
本当に自分が悪くて怒られてるのか。
他の人にもそういう態度の上司なのかも。
色々な側面で考えて、
イヤならやめてもいいんです。
ネガティブ思考でいると、実際の行動もネガティブに引き寄せられます。
「仕事ができない」といわれ続けたり思い込むと「本当に仕事ができずにミスをする自分」を引き寄せてしまいます。
ここでひとつ、
マザーテレサの言葉を。
大丈夫。
あなたは仕事ができます。
まずは自分を認めて、
褒めてあげてください。
今日も出勤していてすごい。
子育てして本当にすごい。
生きていてすごい。
働いてえらい。
ちなみに、私は上司のパワハラをやめさせるように、さらに上の方に捨て身で上伸。そしてそれを退職理由に挙げて転職しました。
人は人に引き寄せられる
愚痴が多い人といると、
引き寄せられて自分も愚痴を言います。
感謝を伝えられる人といると、
自分も感謝を伝えるようになります。
「よく合う5人」で
あなたの性格は
作られている
なんて話も、聞きますよね。
それだけ人の影響力は強いです。
今の職場がどうしても嫌であれば、
環境を変えてみましょう。
「仕事が辛い」が「仕事が苦じゃない」に変えられたら、人生も変わります。
それが中々できないから困る
その通りですよね。
だったら「いつ辞めてもいいんだ」くらいの気持ちを作るために、転職サイトを眺めるクセを付けてみては?(笑)正直それだけでも心の余裕を作れるかもしれません。
いつ辞めてもいいんだぞ!?
その価値観・気持ちだけでも
持ってみると違うかも。
人間関係を頑張るあなたへ。
友達は多い方が良いですか?
数が多いのがステータスでしょうか?
友達が多い
=「多くの人に接しないといけない」
それも円滑に。
好きでもない、むしろ苦手な相手にも
愛想を振りまかないといけない?
本来の自分を隠してでも、
相手に好かれないといけない?
そんな苦行で付き合いを
している人、いませんか?
職場の飲み会、楽しかったけど
帰り道にやけに疲れていたり……ね。
いいねの数や友達の数が多い
=ステータスではないんです。
疲れるほど頑張る必要はありません。
いざ相談できる大切な友人が少しいれば十分。
たまにリセットしても大丈夫です。
自分のいないところで
みんなが楽しくしているのが怖い。
そんな不安は杞憂です。
見えてしまうから気になるだけです。
他人は他人。
Twitterやインスタでキラキラした私生活を見るのがストレスなら、見なくてOKです。
人間関係、
頑張りすぎないでOK。
結論:自分のために頑張り今を生きよう
「変な頑張り」は心も体も蝕みます。
・未来の余裕のために、嫌で仕方ない仕事を続けてとことん倹約して、全部投資に回す
・あとで「付き合いが悪い」と言われたくないから誘われたら全部参加する
・過去の失敗を永遠に引きずり、悩んで、自己嫌悪する
過去や未来、自分じゃない他者に囚われると、変な頑張りをして自分をすり減らしやすいです。
未来は分かりません。
100歳まで生きたくても
その前になくなるかもしれません。
投資でお金を築いても、
使う頃には体が動かないかもしれません。
そんな不安のために頑張るよりも、
「沢山旅行に行くため」
「美味しいものを食べるため」
「家を買うため」
楽しい気持ちで貯める方が、
同じ方法だとしてもきっと楽しいです。
話は沢山逸れましたが、
頑張るなら自分のために。
頑張り屋さんのあなたが、
今この瞬間を楽しく生きられるよう。
今を生きて、
自分のために頑張ってください。
長々と、ありがとうございました。
にほんブログ村でもけを応援
コメント